あさが来た|成澤泉のモデル成瀬仁蔵の最期!その死生観とは?

 

朝ドラ『あさが来た』では、あさと成澤泉の悲願だった日の出女子大学校

が開校し、多くの生徒が集まりました。

 

従来の良妻賢母教育とは一線を画した同大学校の教育方針は、

当初は多くの人びとに叩かれましたが、ふたりの熱意もあって

開校まで漕ぎつけました。

 

そして成澤は初代校長に就任し、千代の親友の田村宜も一期生として

入学するなど、女子大学校も盛り上がってきましたね~

 

ところで成澤のモデルの成瀬仁蔵ですが、成澤と同じように

日本女子大学校の初代校長を務め、開学後も熱心に女子教育の向上に尽くしました。

 

そんな成瀬ですが、大正8年(1919年)3月にその2カ月前に亡くなった

広岡浅子の後を追うように亡くなってしまいます。

 

コンテンツ

成澤泉のモデル成瀬仁蔵の最期! その死生観とは?

 

スポンサードリンク

 

成瀬仁蔵は日本女子大学の設立後は、同大学校の校長を務める傍ら、

ジャーナリズム活動や社会活動を幅広くおこなっています。

 

その代表例が明治45年(1912年)に渋沢栄一らとともに設立した

帰一協会(きいちきょうかい)です。

 

これは階級や国民、人種、宗教の帰一を目的にして、異なる宗教者どうしの

相互理解や協力を推進する団体です。

 

これには旧5000円札に肖像画のあった新渡戸稲造らも参加しています。

 

また教育界のみならず、雑誌などのジャーナリズムにもたびたび寄稿して、

様々な問題に意見を述べたといいます。

 

精力的に活動していた成瀬ですが、大正7年(1918年)秋に

肝臓がんであることが判明します。

 

余命は長くないと考えた成瀬は、翌年1月に日本女子大学校の講堂で

学内外の関係者を集めなんと「告別講義」をおこなっています。

 

そこでは「有限の肉体から無限の生命に入る」との独自の死生観を述べましたが、

文字通りこれが成瀬の最後の講義となってしまいます。

 

またその死生観からしてみれば、成瀬は厳密な意味での死というものを

観念しなかったようですね。

 

ドラマでも成澤泉が新次郎に自身の死生観を語る場面がありますが、

それは成瀬へのオマージュですね。

 

その後、成瀬は2か月後に亡くなってしまいますが、亡くなるまで

日本女子大学校の校長の職に留まりました。

(2代目の校長は絹田のモデルの麻生正蔵が務めた)

 

また成瀬に先立って、同年の1月14日に盟友だった広岡浅子が亡くなっており、

成瀬は浅子よりも10歳余り若かったにも関わらず、その後を追うように

逝ってしまいました。

 

成瀬仁蔵の人となり

 

スポンサードリンク

 

成瀬仁蔵は日本女子大学校の設立の1年ほど前に、女学校の教え子でもあった

愛妻の万寿枝を亡くしています。

 

成瀬夫妻

 

万寿枝とは経済的な理由で離婚した形をとっていましたが、

その愛情は決して変わることがなかったようです。

 

実際に成瀬はその後も再婚をせず、子どもがいなかった成瀬家は成瀬の代で

断絶しています。

 

当時は何を差し置いても家や家系を守ることが第一とされた時代ですから、

どれだけ成瀬が万寿枝を愛していたのかわかるエピソードですね。

 

また成瀬は日本女子大学校に入学することになる井上秀(田村宜のモデル)

の師としても知られています。

 

秀は優秀ではあるものの生真面目過ぎることから、それを見かねた広岡浅子は

成瀬に秀を預けて、その教育を願います。

 

ドラマでも宜が成澤の秘書として預けられますが、そのあたりのエピソードを

モチーフにしていますね。

 

そして成瀬は今わの際に、ゆくゆくは日本女子大学校の卒業生である女性に

校長になってほしいと言い残しますが、それは4代目の校長になった秀により

実現されます。

 

さらに晩年に入っても広岡浅子との関係は良好で、浅子が御殿場の二の岡で主宰した

勉強会にも成瀬は講師として参加しています。

 

日本女子大学校の設立の際には、浅子や麻生正蔵らと奔走した成瀬ですが、

その努力は奇跡とも言われた女子大学校の設立へとつながりました。

 

まさに成瀬と浅子は盟友といった関係でしたが、ふたりが相次いで亡くなって

しまったというのは偶然以上のものも感じてしまいますね。

 

(PR)

便秘や基礎代謝でお悩みの方必見!期間限定お試し価格でのご提案です

「自信あり」とのことで初回のみでの解約も可能です。一読の価値はありそうです

 

毎日19:00~24:59開催!楽天スーパーDEAL6時間限定アイテムが登場!

スポンサードリンク

 

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ